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第1回 光触寺(こうそくじ)

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 JR大久保駅の北1kmほどに光触寺とゆうお寺があります。
このお寺の歴史は古く源平合戦で源氏方に付いた父兄弟と異なって平家方に付いた佐々木義清が平家滅亡後出家し源平合戦の死者を弔う旅をしている時立ち寄ったこの地で当時の人々が義清に永住を求め建てたのが寺の始まりだとされています。
 このお寺は後の太閤秀吉が織田信長より播磨国の攻略を命じられ播磨最大の大名(20万石)別所長治と戦い(夏三木合戦)の時の本陣として使用され境内には太閤秀吉が訪れた時に腰かけて休んだという伝説を持っている<太閤腰掛松>とゆう切り株が有名です。
大久保内のプチパワースポットかもしれません。

 又山門の右手に<左巻き地蔵>の祠がありエプロン(よだれかけ)の下に左巻きの型が付いて珍しいのでそう呼ばれているそうです。確かではありませんが僕の記憶では昔左巻き地蔵は高丘の沈丁花公園の場所にあり地蔵盆などで見たような気がする幼少時の思い出がありますがあてにはなりません。

 余談ですが秀吉の三木攻めはかなりてこずり正攻法では三木城攻略が難しいと考えおよそ2年間兵糧攻めで三木城を陥落させたみたいです。その2年間の間城内では食料が無いため草、根、虫、蛇、鼠、牛、馬まで食べつくし飢え死にする者がたくさんいたそうです。この戦の凄まじい城内の様子を<三木の干し殺し>とゆうそうです。

 

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